吉田のふつうのキセキ
鈴鹿山系の押立山東部付近を源とする宇曽川中流右岸の平野に位置し、同山系の斧磨山付近から発する岩倉川が字内を流れる吉田の里は、古代には善田郷、吉田郷と呼ばれて、肥沃な水田の連なる稲作に適した土地でした。
それゆえに吉田の里は、古から、御領に、あるときは大嘗祭の悠紀斎田(第六十四代 円融天皇、第七十四代 鳥羽天皇、第七十九代 六条天皇)に選ばれたことも何度かありました。
肥沃な水田に至るまでには多くの水害により、稲作に適する土壌が作られたことにあります。豊富な水分を含んだ土地からは、いたる箇所に湧き水も存在していたと伝わります。
吉田には江戸期より今もつづく酒蔵がありますが、恵まれた水がある証ではないでしょうか。現在では鈴鹿山系の水を運ぶ愛知川、宇曽川、犬上川の各上流に大規模なダムが造られ、また、河川の改修が行われ、洪水など水害の不安はなくなりました。
古より蓄積されてきた稲作技術。また、農地改良も行われ、どの田においても近代的な農機具が使用されるようになり、毎年安定した収穫を可能とし、理想的な稲作水田の郷ができあがりました。